第31話【トータルペイン~全人的苦痛】

「先生、FECも今日で終わりなので、次回以降の治療スケジュールを
もう少し詳しく知りたいです」

生まれて初めての抗がん剤治療の前半戦が今日で終わり、
次回からはドセタキセルという抗がん剤と
ハーセプチンという分子標的薬療法が始まる。
事前に治療計画は聞いていたが、次の投薬も3週に1度で良いのだろうか。
またその後に控えている手術では、
どうしても休まないといけない期間が出来てしまう。
今の職場は社長と私しかいないので
場合によっては誰かヘルプを頼まなくてはいけない。
そういった調整もあるので、手術のあとの放射線治療の通院についても
早めに確認しておく必要があった。
病気の経過も心配だが、仕事についても心配が絶えない。

また手術についても、全摘出になるのか部分切除になるのか、
これは投薬の結果次第によるのだが、
その場合によって「乳房再建手術」をするか、しないかの選択が待っている。
再建手術には、ガン摘出と同時に再建を行う「一期再建」と
しばらく期間を空けてから行う「二期再建」があるらしい。

「再建はやるでしょ?」

C先生の言葉に私は「はい、やりたいです」と思わず答えた。
でも本当を言うとまだちょっと迷っている。
「考えています」と言ったほうが正解だったかも。

私の今の生活を考えると再建は本当に必要だろうか。
技術は上がっている、と言っても、
その後のケアやリスクは全くないわけじゃなさそうなのだ。
まだ勉強しきれていないので、むしろそちらの不安の方が
今は少し強い。

先日久しぶりに会った友人の先輩サバイバーHさんいわく
ドセタキセルのほうが副作用がキツいらしい。
最後のFEC投薬の時に看護師さんに聞いてみる。
やはりそういう方が多いと話す。

「でも、個人差がありますからね」

そうなのだ。こればっかりは、やってみないと分からない。
でも油断していると、やってきた苦しみに耐えられないような気もするし、かと言って心配ばかりしていると治療前から心労が重なって疲れる。

第2次ベビーブーム世代の私。
高校受験、大学受験、就職氷河期と、競争、競争の連続。
でも競争ばっかりで必死だったからか、
よくよく振り返って考えると、目の前の出来事の意味や、
それについて自分がどう思うか、あまり深く考えてきたことは
なかったかもしれない。
団塊ジュニア世代とも呼ばれる私。
競争社会を生きてきたと言っても、小学生の頃は私も友人も
たいてい子ども部屋があって何不自由なく育ってきたせいか
どちらかと言うと今までボーっと生きて来た。
けれどもここにきて、今までの人生、
なんとなくはぐらかしてきた【選択と緊張】が、
「逃がさないぜ!」とばかりに追いかけて来て、
見事に捕まってしまった気がする。

先日、ブログを読んでくれた学生時代の友人や元恋人(むふっ)が
メッセージを送ってくれた。

「O野は昔から闘っているようなイメージだけど、
強がるところがあると思う。一人じゃないんだよ」

うん。そうなのかもしれない。
このブログも誰かのお役に立てるならって
エラそうなこと言いながら書いているけれど、
本当は自分のために書いているのかも。
分からないもの、目で見えないものと闘うのは思いのほか、しんどい。
だからせめて勉強して、少しでも【敵】を知って
不安になった時、あとから何度でも読めるように残しておきたかった。
勉強している時とブログを書いている時間が一番、落ち着く。
とはいえ、この作業をしていない時にはだいぶ心が弱っている。
みんな見抜いていたか。しかも10代から。
懐かしい顔がいっぱい浮かんで、また目がうるうるする。

結構、いっぱい、いっぱいになってきているかな。
治療の手引きに
「トータルペイン」(全人的苦痛)と呼ばれるものが書いてある。
患者には「身体的苦痛」だけでなく、
「精神的苦痛」(不安・恐れ・怒り・うつ)と
「社会的苦痛」(仕事・経済的事情・人間関係)
「スピリチュアルペイン」(人生の意味・価値観の変化・死への恐怖)の
4つの痛みがあると解説している。

病院によっては、身体の痛みだけでなく、トータルペインの対応ということで、「緩和ケア」とか「サポーティブケア」といって、医師のみならず(乳がん専門の)看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん、カウンセラーさんやソーシャルワーカーさんがチームとなって相談に乗ってくれるらしい。
私の病院にも相談室がある。

私も我慢しないで相談してみるかな。
でも今は、ずっと会っていないのに時間を越えてメッセージを
送ってくれた友人たちが一番のサポートチームだよ。

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第34話【ラブレター】

8月のお盆明けから名古屋にいる弟夫婦が
甥っ子を連れて実家に遊びに来るというので
私もパートナーと共に週末に帰省した。
義妹によると私が甥っ子に会うのは3年ぶりとのこと。
久しぶりに会った甥っ子は小学校1年生になっていた。

あんなに人見知りだった甥っ子が、
すっかり人懐っこい甘え上手になって
久しぶりに会う伯母はもうすっかりメロメロの、
でも一緒に遊ぶ体力もだいぶ落ちてしまったので
ヘロヘロにされてしまいましたよ。

幼稚園の数年と小学校の数か月、
このちっちゃい男の子なりに世間の波にもまれて成長したんだね。
そしてきっと、あっと言う間に中学生になって大人になってしまうんだね。

「いやいや、お義姉さん、それはいくらなんでも気が早いですよ。
その前にもっと会いましょうよ。」

的確な突っ込みを頂いた。

弟家族が旧友に会いに出かけている間、
私はかつて自分の部屋だった場所の
荷物を少し整理しようと試みた。

実家には荷物はほとんど残していない。
ただどうしてもなんとかしないといけない物が少し残っていた。

日記と手紙。

残している日記は小学生から中学生にかけてのもので
誰某ちゃんとケンカしただの、誰某くんがカッコイイだの、
今読み返すと、本当にどうでも良い内容で、
それでいて結構、恥ずかしい内容なので開いていない。
でもなんとなく捨てられない。
人に見られたら恥ずかしいので残したくないのだが、
やっぱりまだ捨てられない。

次は手紙が入っている箱。

もっと赤面するものが入っていた。
10代から20代にかけてもらった、いわゆるラブレター。
幸せな頃のもあれば、恨み辛みが書かれた最後の手紙もあった。
恨み辛みの手紙は、当時は腹が立ったけれど
今読み返すと胸が痛い指摘ばかりだった。
これがいわゆる「若すぎて」ってヤツか。ごめん。
それにしてもよくこんなに取っておいたね。私。
これもやっぱりまだ捨てられないな。

最後に見つけたのは、母子手帳とへその緒が入った小さな箱と
保育園の頃、母と先生がやりとりしていたノート。
どうも私も甥っ子と同じで、入園当初は内気で人見知りだったようだ。
身体を動かしたりすることも苦手で、
教室の隅にポツンとしていることが多かったみたい。
それが保育園のいろんな行事を通して周りのお友達と仲良くなって、
苦手な鉄棒や山登りなど黙々とできるまで
一人努力する子どもになっていったらしい。
この間の母と先生のやりとり。
どちらが上、ということもなく対等の立場で私を心配してくれて
そして成長を喜んでくれているやりとり。

くぅ。
愛されて育ったんだな。感謝、という言葉しか出てこない。
私も社会に恩返しする年齢になっているのに、できているだろうか。
自分のことしか見えなくなったとき、読み返そう。
だからこれは捨てないで取っておく。

あぁ、結局またどれも捨てられなかった。

ちなみに、保育園のお誕生日カードに
【将来は何になるの?】という先生の質問と私の回答が書いてあった。

私は【看護婦さん(当時の表記)】か【歌手】になるんだって。

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