第37話【激痛】

ドセタキセル及びハーセプチンの投薬からそろそろ1週目が終わる頃、
とまらない食欲に、身体がだんだんと大きくなり、
着られなくなる服が増える、
という
極めて深刻かつ重大な副作用の他は、特になかった。
が、「楽勝!」と思った週末、突然、発熱と全身の痛みがやってきた。
夕刻から感じる痛みとだるさ。

(これがC先生と薬剤師さんが話していた痛みか)

夕暮れが進むにつれパソコンに向かって座っているのが
だんだんとキツくなってきたが、
それでも前もって聞いていたおかげで
まずは冷静に状況を受け止めることができた。
事前に渡されていた抗生剤と痛み止めを
うっかり自宅に置き忘れていたので
これは帰宅するまで我慢しなければならない。
明日の土曜日は予定があったが、この調子ではおそらく
帰宅してベッドに入ったら起き上がれないだろう。


帰宅前にキャンセルの電話を入れた。
電話の向こうで心配そうな声を出しているのは
後輩のIくん。
彼は役者をしながら、芸能プロダクションのデスク業務を手伝っていた。
彼とわたしは同業だ。
傍から見ると、不器用なほど
何事も真面目に取り組むIくんの仕事ぶりが目に浮かんだ。

今日の仕事の片はついていた。
その安心感もあってか時間を追うごとにひどくなる痛みに
うめき声がたまらず漏れて机に突っ伏す。
(こういう時、一人スタッフの職場は
周囲に気兼ねがなくて気楽で良いな、と心から思った)

案の定、帰宅してから日曜まで、痛みで呻きながら
ひたすらのた打ち回っていた。
ちなみに全身が痛いので、さすがに前向きな私も
「ひでぶ!」で笑いという余裕は今回は全くない。

一人で痛がっているには耐えられそうになく、
つい甘えてベッドから状況をFecebookに投稿。
すると、心配する友人や親族からすぐさまメッセージが来た。

とても有難かった。
と、同時に自己嫌悪も感じた。

束の間の痛みをが和らげるため、
親族や友人からの優しい言葉を期待した自分。
こんないやらしい投稿はやめよう。

しかしそんなことを考えるまでもなく、
その後はあまりの痛みが続き、SNSに投稿する余裕はなくなった。
このブログも8ケ月止まってしまい、以降は回想録になる。

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第38話【退職】

ドセタキセルはとにかく身体が痛かった。
そしてあっと言う間に太った。
鏡を見るたびにため息が出た。
治療のための投薬で見た目が変わるほど太ってしまうのは
実は初めてではない。
5年前、うつ病の治療をしていた時に処方された薬も
体重が激増するものだった。
その後、元の体重に戻すためどれだけの努力をしたか、
辛すぎてなのか、加齢のためなのか
よく思い出せない。
さらにため息が出た。

人間、見た目がすべてではないけれども、見た目も大事なのは確かで
この頃にはすっかり人に会うのが嫌でたまらなかった。
加えて身体の痛みで、毎日自分のことで手一杯になった。

一人スタッフの職場は、
自分のペースである程度仕事ができる気楽さがあったが
もうすぐ迎える入院中の業務対応や
手術直後は思うように動かないであろう
身体を考えると、一人で全てを行う職場で働くことに限界を感じた。

治療を始めるにあたって、
いつかは退職しなければならないんだろうな、と感じていた。
だからこの5か月、なんとなく日々の出会いの中で
わたしは業務を引き継げる方がいないか探していた。
幸運にも少し前から事務所の仕事を手伝ってくれていた方が
承諾してくださったので、手術の3週間前にわたしは退職した。

手術まで2週間。気づくと秋もだいぶ深まっていた。
手術をしたら、当面、利き腕が不便になる。
わたしの家では、力仕事はわたしが担当なのだ。
手術を終え、退院する頃には年末の大掃除が待っている。
掃除は大好きなのだが、今年はほとんどできないだろう。

少しでもきれいな部屋で新年を迎えたかったのか
手術や術後の生活への不安を忘れようとしていたためか、
この頃のわたしは、ただただ掃除ばかりしていた。

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第39話【パジャマ】

手術までの2週間は、告知を受けてから6か月の間で一番、忙しかった。
事務職は退職していたものの、ダブルワークをしていた接客の仕事は
身体を使うことが多い職場だったので
運動も兼ねて入院するギリギリまで続けていた。

その合間を縫って、ある資格試験を受験した。
実は挑戦してみたい、と考えていた仕事があり
告知を受ける前から試験勉強を始め転職について考えていた。
告知前の計画では、資格を取って、事務職の仕事を続けながら
じっくり転職活動を・・・と考えていたのだったが
予定より全く早く事務職を退職してしまったので、
退院後、治療と並行しながら何某かの仕事を探さなければならなくなった。

事務所にお手伝いに来てくださっていた方に
引き継ぎを打診する際、わたしは正直迷った。
留守の間をお任せするのか、後任としてお願いするのか。
年齢なども含め、治療をしながらの求職は条件的になかなか厳しい。
そもそも転職活動するのに必要な資格が、まだ最低限しかない。
でも、もともと言い訳が多いわたしは、
ここで病気と治療を理由に挑戦を先延ばしにすると
この後の人生もなんだかんだと言い訳をして
生きていく気がしていた。
それになにより【いずれ転職したい】という気持ちを抱えながら、
これ以上、通院や入院で事務所に迷惑をかけるのは後ろめたかった。
今はいろいろな働きかたがある。
とりあえず今までいろんなお仕事を経験してきた。
つなぎのお仕事はなんでもする。
ひとまず安心して通院治療できる職場で
身体と心を整え、知識を蓄え、来たるべきときに備えたい。

そこで、退院後はすぐにでも求職活動を行えるように
以前お仕事をさせて頂いた派遣会社の
コーディネーターさんに連絡をして事情を説明した。
いずれ転職を考えているわたしには
期限がある派遣社員のほうがなにかと都合がよい。
そこで将来的にやってみたい仕事も相談してみたのだが、
英語力がないと相当に厳しい、ということを痛感した。

もう少し若いか、経験職種であれば
英語は仕事しながら勉強してくださいね、ということになるのだが、
この年齢で未経験、となると、せめて英語くらいは十分にできてくれ、
さもなきゃ書類すら通らない、ということらしい。
やはりそうか。相談して良かった。
toeicなども受けてはいたのだが、
なかなか思うようなスコアに届いていない。
ならば入院中は英語の勉強の時間にあてよう、と
入院時に持参するバッグに参考書を数冊放り込んだ。

予備自衛官でもあるわたしは<
訓練バッグ>というものを作ってある。
予備自衛官は年に1回、訓練に出頭しなければならない。
このバッグは訓練のときに必要な道具や
洗面道具・着替えなどをセットしてあるのだが、
これを作っておくと、訓練に限らず、いざ、という時、
またその他の宿泊を伴う外出にもすぐに対応が出来て便利なのだ。
(プライベートの時には迷彩Tシャツを抜き出す作業が発生するが)
今回もこのバッグを利用するつもりだった。
なので、入院のための荷造りはほとんど必要なかった。

が、一つだけ<訓練バック>には入っておらず
かつ、今回の入院で絶対に用意しなければならないものがあった。

【前開きのパジャマ】

パジャマなんて最後に着たのはいつだろう。
最近は色気もそっけもないジャージやスウェットばかりだった。
(だって、急な宅配のお届け時にも対応できるしラクなんだもん)

術後、しばらくは右腕は挙がらない(挙げ辛い)と言われていた。
でも診察や治療もあるので、前開きのパジャマがマストだが、
パジャマを持っていなかったので近所のオリンピックへ買い出しに行った。
この時は出費がまた増える・・・とブツブツ言いながら選んだのだが、

退院後はすっかり

「寝るときはパジャマ以外、有り得ないっしょっ!!」

パジャマってこんなにリラックスできる衣服だったんだな。
すっかり、忘れてた。
入院中、それまで治療だ、転職準備だ、ってガツガツしてた気持ちも
パジャマ着て横になったらすっかり緩んでリラックスできた。

ありがとう、パジャマ。

おかげで英語の勉強はほとんどできなかったけど。

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