第42話【衝撃】

C先生からの説明は外来診察が終わってから、とのことだった。まさか新たな話があるとは思わなかったので、検査の前に母は帰していた。

何の話だろう?

入院の2週前にも検査があった。それは手術の方針について最終的な決定をするためのガンの状態確認だった。その検査の時も超音波検査はものすごく時間がかかった。何度も何度も確認していた。

「お待たせしてスミマセンね。でも右脇にあったガン(転移していたもの)が見つからないんです。ハーセプチンが効いて消えたのかもしれませんね。頑張りましたね。」ようやく確認作業に納得した検査技師さんが、明るい声で状況を説明してくれた。

もちろん、最終的な判断はC先生がするのだろうけど、私は少し舞い上がった。

(リンパ切らなくても良くなるかも‼)

右胸のガンもかなり小さくなっていると言う。切る箇所は当初の予定より小さくて済むかもしれない、と小躍りしていた。
だから新しい話が何なのか、さっぱり見当がつかなかった。

検査が終わって病室に戻ると、間もなく夕食の時間だったけれど、なんとなく手持無沙汰だったので病棟を探索した。

フロアには複数名部屋と個室がそれぞれいくつかと、ナースステーション、カンファレンスルーム、面談室なるものがあった。カンファレンスルームで執刀の先生ほかチームのメンバーで手術の方針について話し合うらしい。私がウロウロと探索しているときも会議があった。遅れて入って行った先生の背中で閉まりかける扉から、沢山の白衣を来た先生方が前方に掲げられているレントゲン写真を見つめているのが見えた。

18時の夕食時に、仕事を終えたパートナーが、シッカリ自分の食糧持参で見舞いに来た。

「カクカクシカジカ、何だか新しい話しがあるらしいよ。モグモグモグモグ」
「じゃぁ一緒に聞くよ、モグモグモグ」

夕食を終え、治療に来ているのか、旅行に来ているのか分からないくらい二人でマッタリし始めた19時頃、C先生が病室に見えた。そして、私とパートナーは先ほどの探索で見つけた面談室に誘導された。面談室は3人が目一杯な広さだった。

「単刀直入に話すわね。」

先生は席に着くなりそう切り出した。

「左胸に腫瘍が見つかったの。とても小さいので今まで見つけられなかったの。」

一瞬、先生が何を言っているか分からなかった。

7ケ月前、私は両側乳癌の疑いでC病院を紹介してもらった。
左胸については7ヶ月前に乳癌の疑いがある、と言われたB病院で確かに指摘があった。でも結局乳癌の診断は右胸と右腋下の転移だけで、左は何も言われなかった。左はずっと昔に【乳腺症】と言われたことがあったので、今回も大丈夫だったんだ、と思い込んでしまった。
だからあまり左については確認をしてこなかった。
C先生によるとその腫瘍は、2週前の検査で超音波検査の先生が気付いてくれたらしい。良性か悪性かは切って見ないと分からない、でも可能性として悪性である確率が高いと超音波の先生が頑として主張しているとのコトだった。
きっと先ほど覗いたカンファレンスルームで、私のレントゲンやエコー写真を前にたくさんの先生や技師さん、看護師さんが意見を戦わせてくれたんだろう。

「それでね…」

腫瘍のある場所が難しいらしく、術後の形は余りキレイにはならないかもしれない、とのことだった。

この2週間、抗がん剤とハーセプチンが効いて、手術で切るトコロは小さくて済むと勝手に思い込み、やれ嬉しや、とパートナーと勝手に喜んでいた。
だから余りにも予想しない展開に頭が久々に真っ白になった。
そして、40歳も半ばにして恥ずかしいのだけれども、
ジワジワと視界が滲みだした。
なんとか溢れ出るものがこぼれないような姿勢を取りつつ、話を聞く。

「手術に同意しますか。」

明後日に手術を控えているというのに、今さら拒否できるのだろうか。
いや、拒否はできるだろう。そのための説明と確認なのだから。
でも動揺しまくっている私の頭の回転は止まりかかっている。
この時、パートナーが同席して話を聞いてくれていて本当に良かったと思う。
切らなくても済むかも、と淡い期待を抱いていた右のリンパについても廓清するとのこと。
(重要な説明の時には、【冷静に話を聞いて判断できる】家族やパートナーが同席することがとても大切だとつくづく思う。)
フリーズしている私の代わりに手術の細部を何点か先生に確認して、どうするかと問うように私の顔を見た。
私にはこのまま手術を受けるしかないように思えた。

面談室を出た私は、パートナーに抱きかかえられるようにしてヨロヨロと病室に戻ったことを覚えている。

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第1話【乳腺外来】

「社長、急で申し訳ありませんが明日、午前休をください。」

4月の最後の木曜日、私は社長の顔色を伺いながらこの何日か気になっていたことを一気に話した。

数日前、シャワーを浴びている時に
右胸にシコリがあることに気付いたからだ。
忙しいから、と体のことはついつい後回しにしてしまい、私はもう何年も婦人科検診を受けてない。

「乳腺症だと思われます。
心配はないと思うけど、定期的に検診は受けてくださいね。」

最後に検診を受けた時そう言われていたが、社長と私しかいない小さな会社では休みが取りづらかったことと、やはり検診で行うマンモグラフィーの痛みを思い出すと、何だかんだ理由をつけて逃げていた。

また痛い思いをするかと思うと乗り気ではなかったが、今回は病院に行ってみようと思った。

翌日はどんよりとした曇り空だったが、自宅付近でいかにも女性がくつろげそうな綺麗なAレディースクリニックをすんなり予約できたこと、
朝は少しだがいつもよりゆっくり眠れたことにむしろ心は軽かった。

「今回も乳腺症、心配ない。とっとと終わらせて事務所に向かおう。」

初めてかかるそのAクリニックは朝から混んでいた。
受付で初診であることを告げ待合室の空いている席を探していると、
パソコンの予約内容を確認していた人の良さそうな係りの女性が
申し訳なさそうに私の名前を呼び、ちょっと困ったような、
でもしっかり伝えなければ、と言う表情で話かけてきた。

「O野さん、ご自分でシコリが認識出来るんですね」

「はい。もうずっと検診受けてなかったのもあったので、
ようやく重い腰を上げた次第です。はは。」

私は叱られる前に白状してしまえ、とばかりに長いこと検診をサボっていたことも笑って付け加えた。

けれども彼女は真剣な顔で、声を潜めて話を続けた。

「ご自分で認識出来るなら、多分、シコリはあるんだと思います。
でもそうなると、乳腺外来がある病院でないと詳しく検査出来ないんです。
ここで診察受けて頂いても、うちの先生も紹介状を書くしか出来なくて。
そうなるとお金だけ掛かってしまうので、最初から乳腺外来のあるところで受けられた方が良いですよ。」

『乳腺外来』

そうだ。水曜に電話で話した母が確かそんなことを言っていた。

乳癌検診で要精査と言われた場合や、明らかに乳房に異常を感じた場合に受診するところは婦人科ではないのよ。
間違えないでね。」

普段から話を半分しか聞いていない、とよく叱られるのだが
今回も大事なことが抜けていた。

今回の予約はキャンセルにしておきますから、と見送ってくれた受付の方に私はお礼を言い、クリニックを出ると同時にスマホで乳腺外来のある病院を検索した。

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第2話【紹介状】

出来れば休みをもらった今日中に診察を受けたい。
改めて休みをお願いするのは、色々と面倒だ。
でも近くにあるだろうか。あっても予約が取れるだろうか。

祈るように検索エンジンに「乳腺外来」と希望の地域を入力した。

「あった。B医院」

ラッキーなことに駅の向こう側にあった。
早速、電話してみるとベテラン風の明るい女性の声が聞こえた。

「どうされましたか?」

私は数日前に気付いたことと、今日の経緯を話した。

「それなら当院の受診ですね。
今日の予約を入れますので、お名前をフルネームで頂けますか」

「O野K子です」

「あら、O野さん?この前いらっしゃたばかりですよね。」

「いえ、初めてです」

少し間があった。何かガサガサ書類をめくるような音が聞こえた。

「申し訳ありません。では生年月日もお願い致します。」

ついさっき自分も受診科を間違えたので人のことは言えないが
随分とおっちょこちょいな人だ。

午後の診察が15時からだったので、私は急いで事務所に戻り、
昼食を片手に仕事をやっつけ事情を説明して早退させてもらった。

少し早めに着いたB医院は賑やかなK商店会を抜け、静かな住宅街が始まるところにあった。
広めの待合室には他の受診者はまだいない。
ガランとして静まり返った待合室の窓から見える曇り空に、朝とは違って私はなんとなく憂鬱を覚えた。

自分のミスだけれどバタバタして疲れた。
でももう少しで終わる。

「身内に乳癌経験者がいるのに定期健診を受けていなかったのかい?」

半ば呆れたような声を出したB院長は、50代くらいの男性の先生で、すぐにマンモグラフィーとエコー検査を始めた。

マンモは何回か更衣室から呼び戻され角度を変えて撮影をした。

その度に胸を挟まれ痛い思いをするわけで、何のために今まで色々理由をつけて検診を避けてきたのか考えるとちょっと情けなかった。
こんな思いをするくらいなら来年からはキチンと受診しよう。

通常であればこんなに何度も撮影することはないはずだ。

なんとかかんとか検査と着替えを終えて待合室でほっとしている時に、
ふと院内の貼紙が目に入った。

『シコリや痛みのすべてが乳癌とは限りません。
一人で考え込まないで、きちんと病院で検査を受けましょう』

そんなような内容だったと思う。

100人シコリが見つかっても最終的に乳癌と診断されるのは5人もいない、と昔、聞いたような気がする。
私もそうだ。くじ引きだってあたらないのだ。
そんな確率の少ないものにあたるはずもない。気楽に考えていた。

「右にシコリがあると言っていたけれど、左にもあるの、自覚ないんだね?」

検査の写真を見ながら先生が言った。

「はい。言われるとエコーの時にちょっと違和感を感じましたが…」

先生はその問いに対してすぐには反応せず、写真を見ながら頭の中で何かをまとめているようだった。そして続けた。

「そうですか。右側のシコリも左側のように、もう2年早く見つけられると良かったです」

今回も乳腺症と言われるだろうと信じ切っていたからか、疲れてしまっていたからか、先生が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。ただ、早く安心して帰りたい。

私は先生の言葉の意味を確認しようと、座り直し身を乗り出した。
その時、すでに作成されていた診断書の文字が見えた。
そしてようやく自分の状況が理解できた。

『両側乳癌の疑い』

泣いていたのだろうか。あまりに想定していなかった事態に言葉が詰まってなかなか出てこない。
先生はうちの病院でも治療出来るが、身内がかかっていた病院が良ければ紹介状を書く、どこの病院か、
と聞いているようだったが展開が早すぎて頭がすぐに反応できない。

看護師さんが落ち着くまで、と別室に案内してくれた。
少し時間をもらい母に電話をし、同じ病院に行くべく病院名と主治医の名前を確認した。

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